和良町について
こちらでは和良町の歴史
地勢などについてご紹介します。
和良地域は和良川を中心にして、土京川、鹿倉川(和良川)、鬼谷川の流域に集落を形成しながら発達してきました。和良地域に残る遺跡からは縄文期の土器や石器が出土しており、和良の起源は太古にまで遡ることができます。
和良という名前が出てくる最も古い文書は、平安時代の前期に書かれた『和名類聚抄』です。当時の和良郷は和良川流域長く伸びた山里でした。鎌倉時代のことは、はっきりとした記録がありませんが、室町時代になると、和良郷は郡上地域を治めていた遠藤一族が統治します。一族の統治はその後も長く続きましたが、江戸時代中期になって、領地の一部が江戸幕府の天領となったので、和良は遠藤一族(千葉遠藤領と二千石遠藤領)そして、天領の三分割の統治となり、この状態は明治維新まで続きました。
江戸末期の和良地域は和良筋十六ヶ村から構成されていました。明治維新による大政奉還に伴い、現在の岐阜県には笠松県が置かれ、最初に天領が笠松県に属し、ついで残りの六ヶ村も同県に統治され、和良筋十六ヶ村すべてが笠松県になりました。
その後、笠松県は廃止され、和良地域は郡上郡の一部となり、16あった小さな村が少しづつ合併しいき、和良村が誕生しました。
平成16年3月1日、平成の大合併の流れを受け、郡上郡七町村が合併し郡上市が誕生、和良村としての116年の歴史に幕を閉じました。郡上市になってからは和良町と名前を変え、新たなスタートを切った和良。天領として栄えた地であり、太古の昔より続くこの和良郷。豊かな自然と美しい和良川が育む豊かな大地は多くの人を虜とすることでしょう。
【位 置】
郡上市和良町は岐阜県のほぼ中央に位置し、郡上市と下呂市を繋ぐ東の玄関口となります。郡上市と言えば長良川ですが、和良町に流れる和良川は下呂市と同様の飛騨川水系に属し、その後木曽川へと繋がっています。
【面 積】
和良町の総面積は100.19平方キロメートルで、その95%を山林が占めています。人が生活するエリアも多くが田畑であり、自然の中に人が住まさせてもらっているという感じになります。もちろん、猿や鹿などの獣も大変多いところです。
【地勢及び地質】
和良町の平野部は標高330〜460メートルのなだらかな中山間地域ですが、鹿倉と、土京地域には標高1,000メートルを超える山岳が連なっています。ちなみに和良町のシンボル的な山である和良ケ岳は標高716メートルになります。
地質は西部及び南部一帯が秩父古生層に属し、北東部は花崗班岩に広く覆われてる。
【神社・寺院】
和良町内には多くの神社があり、その中でも戸隠神社と、宮代・白山神社は岐阜県独自の社格で銀幣社となっています。社格が白幣社である神社は、東野・白山神社、法師丸・白山神社、下土京・熊野神社の三社となります。その他にも、鹿倉・白山神社、野尻・八幡神社、田平・白山神社、横野・大久古神社、下沢・日吉神社、下洞・稲荷神社、下土京・愛宕神社、秋葉神社などがあります。小さな集落にこれほどまでの神社があるのは古くから集落ごとに一族の繁栄を願って氏神を祀ってきた証であり、現在もなお大切に守り継がれています。
和良おこし協議会では、人口増への対策の一環として、移住促進に力を入れており、和良町各自治会の方々のご協力をいただいて、空き家を所有している方から物件情報を集め、和良町に住みたいという方にご紹介をさせていただきます。
和良おこし協議会では、和良町に住みたいとお考えの方に、相談窓口として支援情報のご提供や、不安の解消といった側面からサポートいたします。そして、移住の達成後も地域の人々との交流や自治体活動などのフォローアップを目指した、移住のためのアドバイスも行います。
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